家族旅行で淡路島に行き、伊弉諾神宮(イザナギ神宮)にお参りしてきました。
せきれいの里 ◆◆◆ 伊弉諾神宮境内 | 『国生みの島・淡路』日本遺産認定 (kuniuminoshima.jp)
淡路市にある伊弉諾神宮はイザナギノミコトとイザナミノミコトの二神を祀る日本最古の神社と言われています。
観光案内には最強パワースポットと書いてありましたが、実際お参りすると格式の高さが実感出来る、とても清々しく神聖な気持ちになれる神社でした。
お参りに来た記念に、絵馬を書いて奉納しようと思い立ちました。私は普段、神社にお参りする時は絵馬を書いたりおみくじを引くことはほとんどありません。
絵馬を書くのはもしかして受験生だった時以来?久しぶりに願い事を書きました。
その後、瀬戸内海のうず潮を見るため「うずしおクルーズ」に乗船し、一時間程度の船旅を楽しみました。
船の館内放送で何度も「段差が多いため、足元にお気をつけください」と放送されていましたし、私も注意していたのですが、ふと気を抜いた時に平らだと思っていた所に段差があって、船の傾きもあり見事に転んでしまいました。
それはもう「すっころんだ」という表現がぴったりな派手なコケ方で、幸い打ち身やすり傷になる様な痛みは伴いませんでしたが、久しぶりにコケた驚きの方が大きく、自分でも笑ってしまいました。
ただ、その瞬間に思ったのは「バチが当たったんだなあ」でした。
実は絵馬を書き、奉納している時も「願い事をするなんておこがましいんじゃないか」という思いが浮上していたのです。
何か本当に困っている人や、強い願いを持つ人にだけ絵馬を書く資格があって、私はそのレベルではないのに、という感覚がありましたし、奉納した後も少し心がざわざわしているのを感じていました。
そのため、コケたのは偶然で絵馬は関係ないと打消しながらも、何故かそれは繋がっている気がしたのです。
バチや呪いといった、一見、向こうからやってくるもの、自分では防げないと思われるものも全て自らの思考が起こしている現象です。
家に帰ってから、どんな理由で絵馬を奉納する→バチが当たる、を引き起こしたのか自分の思考を掘り下げてみました。
すると遺伝的に「神様に願い事をするとバチが当たる」という思考を受け継いでいることを知りました。
おそらく先祖が願掛けをした後、何か災いに見舞われてしまって、それをバチが当たったと捉えたのでしょう。以来、神仏に感謝をしても願い事はしない、まさに「おこがましいから」という感覚を遺伝レベルで私が受け継いでいた様です。平和で安全な日常のためのシステムだったのです。
思い返せば私は、大人になるにつれて神社にお参りする際、ほとんど感謝のみ伝えて願い事はほんの少し、ごくたまに、を心がける様になりました。
シータヒーリングで、この思考を引き抜いて「願いごとをするとバチが当たる」を解消し、改めて「最高最善に願い事が叶う」感覚を潜在意識に落とし込みました。
私たちは思いがけない理由で自分自身に制限をかけています。
一見無関係に見える現象の中にも、もっとラクに生きるためのヒントが隠れているものです。
今のままでも良いけれど、もっと人生を楽しめるんじゃない?と思ったら。
是非Luca-ルカ-にご相談ください。あなたの人生はもっともっと輝きます☆
長野市 Luca-ルカ-